自由律俳句とは

自由律俳句とは、従来の俳句、つまり定型俳句とは違う自由な俳句のことを指します。

どう自由なのかと言うと、定型俳句に見られる「季語」や「5・7・5」という17文字からなると言う約束事を破っているのです。

定型俳句を成り立たせている「季語」と「17文字」という2つの要素を取っ払ったと言う点で、ある意味、革命的な俳句とも言えます。

もちろん、定型俳句のすべてが17文字というわけではなく、決まった文字数よりも多い「字余り」や、逆に少ない「字足らず」という句は普通に見られます。

ですが、自由律俳句の場合、そもそも、そうした文字数を意識していない点で、これらとまったく異なっているものです。

自由律俳句が生まれる背景に、明治40年代の河東碧梧桐の新傾向俳句がありました。

この新傾向俳句は従来の俳句を批判し、俳句界に新風を巻き起こしました。

新傾向俳句は伝習的季題の革新や5・7・5調の批判に特色があります。

それに共鳴したのが荻原井泉水で、河東碧梧桐を擁して「層雲」を発刊しました。

その後、荻原井泉水は季語を捨てることを主張し、それを拒否した碧梧桐は層雲を去ります。

こうして、季語と5・7・5調をなくした自由律俳句が誕生し、自由律俳句誌「層雲」が自由律俳句の中心的雑誌として刊行。

紆余曲折を経ながら、現在まで発行され続けています。

「層雲」からは尾崎放哉種田山頭火といった著名俳人が輩出し、近年、住宅顕信が出るなど、大きな影響を与えています。

さて、層雲を去った碧梧桐は門下の中塚一碧楼らと俳誌「海紅」を主宰します。

その後、1922年から碧梧桐は一碧楼に主宰の座を譲ります。

この自由律俳句誌「海紅」はもう一つの自由律俳句の流れとなっており、現在まで刊行を続け、2015年に創刊100周年を迎えています。

こうした歴史を持つ、自由律俳句ですが、最近ではピースの又吉直樹や文筆家のせきしろの自由律俳句が注目されるなど、新しい展開も期待されています。